“Clear cut case”「疑いの余地がない」

“Clear cut case”「疑いの余地がない」

Quentin Tarantino “Jackie Brown”

Pulp Fiction等で有名なQuentin Tarantinoが脚本・監督を務めた作品「ジャッキー・ブラウン」からイディオムを紹介します。

<Script>

Louis : Who’s that?

Ordell : That’s Beaumont.

Louis :Who’s Beaumont?

Ordell : A employee I had to let go.

Louis :What’d he do?

Ordell : He put himself in a position where he was going to have to do ten years in prison, that’s what he did. And if you know Beaumont, you know ain’t no god damn way he can do ten years. And if you know that, then you know Beaumont’s gonna do anything Beaumont can to keep from doing them ten years, including telling the federal government any and every motherfucking thing about my black ass. Now that, my friend, is a clear cut case of him or me. And you best believe it ain’t gonna be me.

ルイス:「こいつは一体誰だ?」

オデール:「そいつはボーマンだよ。」

ルイス:「ボーマンってのは?」

オデール:「俺が解雇しなきゃならなかった従業員さ。」

ルイス:「一体何をやったんだ?」

オデール:「こいつはブタ箱で10年勤めなきゃならないようなヘマをやらかしたんだ、それがこいつがやったことだよ。でな、もしお前がボーマンを知ってたらだ、やつに10年なんかどうやったって務まらないって事は分かってる。でそれが分かってればやつが俺に関するありとあらゆる事を国に喋ることも含めて自分が勤めずに済む為にできる事はなんだってするって事も分かってる。てことは相棒さ、これはもう俺か、やつかの(一方が消える選択を迫られる)言うまでもないはっきりした件って事だ。で間違いなくそれは俺じゃない。」

Clear cut case : 「疑いの余地がない事案。(言うまでもない)はっきりした事。」

“Clear cut case” 「(言うまでもない)はっきりした事。明白な事。疑いの余地がない事。」

例文1. Clear cut case

A : “Hey, I’ve got this weird e-mail from Amazon this morning. It says my account’s been suspended for some reason and that I need to fill out new information. Or else they’re gonna delete my account…”

B : “Oh, you can just ignore it. That’s a clear cut case of phishing scam.”

A : 「ねえ、今朝 Amazonから変なEメールが来たんだよね。私のアカウントがなんかの理由で停止されて、新しく情報を入力する必要があるんだって。じゃないと私のアカウントが抹消されちゃうって。」

B : 「ああ、無視していいよ。それ明らかなフィッシング詐欺の手口だから。」

COLUMN – ハスラーとピンプ

サミュエル・L・ジャクソン演じるオデールが、犯罪仲間のルイス(ロバート・デニーロ)に車のトランクに入った死体の身元を尋ねられて答えるセリフです。

自身もファンだと公言するBlaxploitation Filmへのオマージュとしてタランティーノが撮ったこの作品。彼のオファーに応える形で主人公を演じたパム・グリアはかつてこのカテゴリーの代表作とも言われた”Coffy”や”Foxy Brown”で主役を務めたブラックスプロイテーションのアイコンともいえる女優です。

Blaxploitation Filmとは70年代に都会の黒人たちの出資によって制作された黒人がヒロイックな主役も含め多く登場する(白人層が製作陣・キャストの中核をなしていたハリウッド映画とは一線を画す)アンダーグラウンドなエンターテイメント映画のカテゴリー。

“Superfly” “Across the 110th Street” “Shaft”等、今となっては映画の為にカーティス・メイフィールドやボビー・ウォマック、アイザック・へイズといったファンクやソウルのパイオニア達が書き下ろしたサウンドトラックとしての認知度の方が高いかもしれませんが、当時の都会に生きる黒人達の貧困や犯罪、それらを背景に繰り広げられる活劇やそれによって彼らが身を滅ぼしていく姿をスタイリッシュに描いています。その後のエンターテイメントにも大きな影響を与えたムーブメントという意味でブラックカルチャー好きな人にとっては映画としても一見の価値はあると思います。

日本でも松田優作の遊戯シリーズ等、キャラクター、設定、ストーリー展開から音楽まで、顕著にブラックスプロイテーションフィルムの影響を受けて作られたと思われる映画がありますし、近年のハリウッド映画でもスティーブン・ソダーバーグやガイ・リッチーのクライム・アクションはBGMのテイスト含め、同じくこのカテゴリーのインスピレーションを多分に感じさせるファクターがあります。

メキシコの航空会社のフライト・アテンダントとして働く主人公のジャッキー(パム・グリア)は銃やドラッグの密売を取り仕切るギャング、オデール(サミュエル・L・ジャクソン)からメキシコの口座にある彼の現金をアメリカ国内に不法に運び入れる事を依頼され、彼の運び屋を引き受けます。その彼女の私物から見つかったドラッグをネタに、起訴をチラつかせながら以前からマークしていたオデールを検挙する為の司法取引を彼女に持ちかける二人の刑事。

社会的に決して強い立場とは言えない独身黒人女性である事に加え、不幸な境遇から前科一犯の烙印を背負っているジャッキーはそれが足かせとなって年齢的に中年期を迎えた今に至るまで金銭的な貧しさから抜け出せず、それもあって手を染めたであろうこの運び屋の件で更に決定的に追い詰められた立場に立たされる事になります。

物語はジャッキーと保釈屋の仕事を通して彼女と知り合う、同じく中年も後半に差し掛かろうかという白人男性のマックス(ロバート・フォスター)との関係を中心に、ジャッキーがマックスの力を借りながらオデールと刑事双方を欺くスキームを立て、不遇な黒人女性としての彼女が、利用され、搾取される側から一発逆転を狙って危険な勝負に打って出るという内容です。

タイトルバックのディスコテイストな題字のフォント、70年代を思わせる家具やインテリアの角の取れたデザインと渋くくすんだ色調、Kangolのベレー帽とニガーアクセントのスラング、”Coffy”のファンキーな劇中曲。レトロで懐かしい「クロい」要素が満載な純度100%のブラックスプロイテーションの焼き直しのスタイルを下地に、タランティーノには珍しい色気と哀愁が漂う「R40指定」とでも銘打つべき本作。数多くのタランティーノ作品の中でも個人的には一番のお気に入りで、その理由は前述した全編に散りばめられたブラックスプロイテーションへのオマージュは勿論のこと、よく練られた完成度の高いストーリーと、スリリングで小気味のいい展開、そしてタランティーノ独特の脚本にあります。

彼の作品の中でもファンが多い「パルプ・フィクション」や「レザボア・ドッグス」にあるような猥雑でクドクドした定番のユニークなスクリプトは本作では主にオデールの台詞に集約され、それ以外は特にクセのない語り口の脚本ではあるものの、人生の迷いや行き詰まり、ジレンマを抱えながら中年期を迎えた主人公たちの間で交わされる、年齢を重ねた大人にこそ咀嚼できる台詞のやり取りが味わい深く且つ魅力的で、また軽快なテンポで進むクライム・サスペンスとしての物語とは対照的に彼らの行動のバックグラウンドとなる「人生の決断」という動機づけには重い説得力があります。

タランティーノ作品は劇中歌の選曲にも定評がありますが、この作品でもJoe SampleのCrusadersがRandy Crawfordをフィーチャーした70年代ディスコソウルの”Street Life”や、”Lovely Day”のヒットで有名なBill Withersの地味な楽曲”Who Is He”、The Delfonicsのメローなソウルバラード”Didn’t I (Blow Your Mind This Time)”、そしてなんと言っても主題歌としてBobby Womackがブラックスプロイテーションフィルム”Across the 110th Street”の為に書き下ろした同タイトル曲をオープニングクレジットとエンドロールで使う等、キャッチーな曲から玄人向けの曲まで、今作もバラエティーに富んだサウンド・トラックになっています。

ちなみに現金の受け渡し場所のロケ地として登場するデルアモ・ショッピングモールは、僕がロサンゼルスに住んでいたティーネイジャーだった頃に1ヶ月に1度は出かけていたような馴染みのある場所です。Gap や Hollister、Banana Republicで洋服もよく買ったし、フードコートでWhopperを食べたりPanda Expressで中華をテイクアウトをしたり、ブラッドピットの「セブン」を初めて観たのもこのモールの中のAMCシネマズ(北米初のシネコン型映画館チェーン)のシアターでした。

全米区でも最も規模の大きいショッピングモールとして今も街内外からの客で賑わっているようですが、去年から今年にかけてはコロナの影響でMacy’sやJC Pennyなどアメリカの大手のデパートも、JcrewやBrooks Brothersといったアパレルのショップも続々と倒産状態に陥り、チャプター11(日本でいう民事再生法に近い倒産の再建型法制)申請が相次いでいるそうです。

時代の流れの中で多くのものが変化し移ろって行く事は、街や人生のみならず僕たちが生きるこの世界の摂理でもありますが、平屋建てのトーランスの街並みも、遮るもののない抜けるような青い空も、僕の中ではこの作品に記録された昔のままの変わらない姿で大切な思い出として生き続けています。