Concept of Graffitips

Concept of Graffitips

Graffiti Vandalism is “no longer” a crime.

インターネット機能を備えた携帯電話が登場して早や十数年。やれSNSだ、Podcastだ、Cloudだ、5Gだと新しい技術やサービスに付随するボキャブラリーばかりが世に溢れる中でその圧倒的な情報量と変化のスピードに溺れそうになる情報弱者を尻目に、ITは僕たちの日常に加速度的に浸透し人々のコミュニケーションの手段からビジネス・娯楽の在り方、個人対社会・コミュニティの関係性や関与の仕方に至るまで根底から社会の構造そのものを変えて来ました。

技術革新・進歩と最新のテクノロジーをいち早く活用し時代と、話題性のアドバンテージを取ろうと競い合う個人や企業のアイディアとの間に生まれるシナジー。日々繰り広げられる終わりのない媒体とサービス、情報のいたちごっこ。今となってはスマートフォンやPCなしでは仕事は勿論、遊びや家事に至るまで何一つ立ち行かないと感じるまでに僅かこの20年足らずの間でITは現代人の生活の中に絶対的な基盤として深く根を張ったのです。

今や誰もがあらゆる情報発信や自己表現のアウトプットを簡単に世界に向けてインターネットで行える時代。

有名なモデル事務所と契約してファッション雑誌のページを飾らなくともInstagramがあれば自分のセンスで選んだ服を着て映えるスポットを巡り(必要に応じてPhotoshopで投稿写真に加工まで加えて)、世の中に自分の容姿やライフスタイルを発信しフォロワー達のコメントによって自意識を満たす事ができますし、チャンネル・時間帯問わず代り映えのしないタレントと芸人しか映らない退屈で門戸の狭いテレビ業界で番組に呼ばれなくともYoutubeがあれば企画・出演・演出・編集・音響まで全てを自分で手掛けた理想の番組を制作してクリエイティブなアイディアを手軽にソーシャルメディアで具現化する事ができます。

ブログもまたその類。どこの誰とも知れない、特に何者でもない平凡な一般人でも、他人の目に耐えられるとも分からない記事を書いてプロが作ったスタイリッシュなレイアウトで編集を施してウェブ上に投稿する事ができます。スタバでMacBookを開いて自由なノマドライフを送る憧れのブロガーの仲間入りが今すぐできるのです。(※平日の昼間からこれをしている人たちの大半は広告収入で食べられているはずなので、なんちゃってでよければの話ですが。。)

有用無用に関わらず情報が垂れ流されるインターネット時代にあって、それはいわば毎日人が行き交う公共の場に溢れた「落書き」を無限の余白が用意されたネットの世界にして回るようなものかもしれません。

受け取る側にとっては膨大なデータの中からどの情報ソースが正しく自分にとって有用か、どのサービスが自分のニーズを満たし活用の価値があるのかを見極め取捨選択する為のリテラシーが求められる一方で、発信する側にとってはコンテンツを創造し、発信・連携できるプラットフォームがラップトップ上にデフォルトで用意されているという点でこれ以上恵まれた環境はないとも言えます。

一般的なストリートアーティストの名を遥かに超越した評価を得るBankseyの作品であろうと、彼と「Anonymous(匿名)」という共通点しか持たない素人の板につかないタグであろうと、同じ壁やガードレールに描かれ(ネット記事の場合、内容が乏しいコンテンツはGoogleのSEOによって誰も住まない地の果てに自動的に追いやられるという違いはあれ)その前を通りかかる不特定多数の人の目に触れるという点に於いて変わりはありません。

アイディアはあるけれどそれをシェアする場がない、表現の術はあるけれど人に評価される機会に恵まれない、そういう言い訳はもはや通用しない時代です。そして誰もが情報発信者・表現者になれるこの時代にその中の何にどんな価値を見出すかは情報や作品を求めて、あるいは暇を持て余してネットの世界を彷徨う通りすがりの個人それぞれの多様な需要と関心、感性のみによって判断されるのです。